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【過去記事】ニュージーランドを経由する人、辿り着く人(2/7)

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※こちらは2016年の記事です。

突然ですが、私たちがお店を始めたのは29歳。当時は様々な無謀だという意見もいただきながら、同時にいただいたたくさんの助言のおかげもあり、現在も日々精進できるよう努力をしながら店をさせていただいております。
そして、開店前にも後にもニュージーランドに多大に影響を受けては帰国を繰り返しています。今年のように欧州など他国に勉強に行くこともあれど、基本的にニュージーランドワインのことを見つめながら現在に至ります。

とは言いましても、ニュージーランドのワイナリーに収穫シーズン中に伺うと、実に多くのニュージーランド以外の出身の方々との出会いも待っています。世界中の、特に北半球の若者が季節が反対の南半球のワイナリーに北半球のオフシーズン中にやってきて頑張っていたり、外国からやってきて現地でもう何年も頑張っている方。

一生に働いた年の数しか経験できないワイン造りという仕事。その貴重な時間をニュージーランドで過ごすことに決心した人々はたくさんの収穫を得てシーズンを終わることと思います。そしてそのままニュージーランドに居続けることを決心する人もいれば、その経験を糧に別の道へ進む人もその事情により様々です。

さて、たまたま年明けそんなニュージーランドワイン繋がりでもあるご縁ある日本人の方々のなかから、嬉しいニュースが飛び込んできましたので、応援の意味を込めて少しだけこちらでもご紹介させていただければと思います。

一枚目、二枚目の写真は長谷光浩さん。朝日新聞長野版の記事のスナップと長谷さんの畑の写真です。

長谷さんは、最近長野県高山村にドメーヌ長谷ワイナリーを今年設立しようとしています。

長谷さんとは長野県の高山村に私たちが生ハムを造りに行った際に、ブドウ栽培家の佐藤明夫さんにご紹介いただいたことから知り合いました。彼はニュージーランドはワイパラ地方のブラックエステートで研修をしていたことがあり、ブラックエステートのニコラス&ペネロペ夫妻が当店に来店したりしていることから話が始まり色々とお話を伺えるようになりました。発展していくポテンシャルを感じる高山村で頑張る長谷さんのアップデートは毎回現地を訪問時に楽しみにしていることの一つです。

彼はもともとは大手音楽業界に身を置いていた方。20代後半から温めていたワインに対する熱意を実らせ、長い時間をかけて様々なワイナリーを訪れ経験や知識を積み重ね、42歳でとうとうワイン造りに転向します。

詳しくは長谷さんのワイナリーのファンドサイトがとても詳しいですのでこちらで書くと重複になりそうです。ご興味ある方は是非ご一読してみて下さいね。

→高山村ドメーヌ長谷ワイナリーファンドサイトへ


次に3枚目の写真。こちらはジンの蒸留所を岐阜の郡上八幡に設立した辰巳さん。
この写真は当店に遊びに来てくださったときに撮った一枚で写真の左が辰巳祥平さん。お隣の眼鏡をかけた方は兩羽大輔さん。4枚目の写真は辰巳さんの蒸留所の方向を臨んだ写真。山の合間が蒸留所の場所だそうです。

ちなみに辰巳さんと一緒に映っている兩羽さんはニュージーランドマルボロ地方に住み、大手ワイナリー、フォレスト・エステートに勤務。すでにそこでの勤務が10年ほどになっている方。と言いましても、そのいきさつはかつて大阪のレストランで勤務していたころ、ワインをよく知ろうとニュージーランドを訪問。到着して3日目にマルボロのフォレストエステートに出会い、4日目にはブドウの木の剪定のお手伝いをしはじめ、その後2009年よりフォレストに勤務。様々なことを経験しながらかけがえのない充実した10年近い日々をこのワイナリーで過ごしている方です。このときは日本に来日中。偶然辰巳さんとお知り合いとのことで、お二人でいらっしゃいました。(このとき偶然店内に隣で飲んでいたのはニュージーランド人カップルで、旦那さんがホークスベイのミルズリーフの元スタッフ。それも楽しい偶然でした。)

そして、辰巳さんですが、彼はこれまでも時々お店に来て下さっていました。私たちと彼とはニュージーランド北島マーティンボロのクスダ・ワインズでのお手伝いがご縁です(実際にクスダワインズでお手伝いしたお互いのヴィンテージが重なったことはなく、現地でお会いしたことがないので不思議です)。

辰巳さんはまだ30歳。ところがお酒造りにかかわり始めてすでに約10年。
20歳から酒造巡りをはじめた彼。陸上選手だったためか健脚なご様子で、神出鬼没で世界中のお酒造りの現場を訪問しています。最初に実習をしたのは21歳の時。2007年のニュージーランドのKUSUDA WINES。そして出羽桜酒造だったそうです。

その後は鹿児島県の大石酒造で芋焼酎造りに、5年ほどして退社後は甲府、ドメーヌQで夏はワイン造りを、冬は丸井合名(愛知県)で日本酒造りを職業とします。その間研修した先は、八千代伝酒造(鹿児島県)、渡辺酒造場(宮崎県)で芋焼酎、ニュージーランドに再び渡りKusuda Winesでワイン造り、その後アラン島へ飛びそこではビール造りに携わります。30歳を前に色々考えがあったようで水や環境に惹かれた(第一印象で地形に惹かれそこには良い水があったそうです)郡上八幡にたどり着きます。その間に飛び回ったお酒の産地は北半球に南半球と渡り、数知れず。もちろんお酒の種類も様々ですが、一つ一つを真面目に本気で接しながらのこのフットワークの軽さ。見習いたくてもなかなかできることではありません。

お店に来るたびに世界で見聞きしてきた酒造りの様々な経験を旅人のように私たちに話をしてくださるので、いつも楽しみにしていましたし、どの世界に結局たどり着くのだろうと楽しみにしていた人でもあります。経歴からたくさんのお酒の知り合いも多いと思いますのでそれだけ多くの方が楽しみにしてきたと思います。そんな彼が30歳になってはじめたのはジンの蒸留所。

辰巳蒸留所はまだ始まったばかり。記事はまだこれからですが、ご興味ある方はFacebookページがありますのでぜひフォローしてみてください。ここでは伝えきれない彼の世界観が垣間見られると思います。

→ 辰巳蒸留所 フェイスブックページへ


こちらも年明けに連絡を下さった高橋善佑さん。この写真、以前ブログに載せたので覚えていらっしゃる方もいるかしら?以前お店にやってきたときに撮った写真です。彼は移転前の私たちのお店にやってきて、ニュージーランドへのワイン留学を考えている旨話してくださったお客様でその後も時々嬉しいアップデートをしてくれます。当時大きな夢を話して下さった彼も晴れてニュージーランドのリンカーン大学の醸造学科へ。現地での研修後、現在は日本に戻りサントリー塩尻ワイナリーで働いています。

新しいことを始めるのは自分のことでなくても、いくつになってもワクワクします。
皆さんに刺激をいただけることに感謝ですね。
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